「取るものも取らず」は誤用。でも案外アリかも

「取るものも取り敢えず」という言葉があります。

取るものも取り敢えず
大急ぎで、また、あわてて行うさま。「─急いででかける」

(『大辞林』)

災害時や敵が攻めてきたときなどに、貴重品や武器など本来持っていくべきものを持たずに逃げた(事にあたった)というのが語源です。(上の画像は『絶望先生 第七集』から引用。自宅の火事でしっかり大事なものを持って逃げた万世橋さんの図)

これを、「取るものも取らず」と書くのは誤りだといわれています。私も編集者として、そう書かれた原稿を目にすれば、「ここは直した方がいいね」と指摘するでしょう。

では、「取らず」と「取り敢えず」では何が違うのでしょうか?

「取り敢えず」といってまず思いつくのは、「なにはさておき」という意味でしょう。これは、それこそ「取るものも取り敢えず」という言い回しからきた意味ですが、もう少し細かく分解すると、「取ること」が「敢えず」となります。「敢えず」とは「完全には…できない。…しきれない」という意味です。つまり、「取り敢えず」は「完全には取ることができない。取りきれない」という意味になります。

そこで「取るものも取り敢えず」を直訳すれば、「取るものも取りきれず」ということになります。ただ単に「取らなかった」のか、「取りきれなかった」のかといったニュアンスの違いはありますが、「(取りきれそうもなかったから)取らなかった」と解釈すれば、「取るものも取らず」でも意味としては間違ってはいません。

また、「取り敢えず」という語について『大辞林』には以下のような記述があります。

とりあえず【取り敢えず】
〔取るべきものも取らずに、の意から〕
① 十分な対処は後回しにして暫定的に対応するさま。なにはさておき。

(『大辞林』)

説明の最初に、「取るべきものも取らずに、の意から」とあります。つまり、「取るべきものも取らずに」という表現は普通の文章としてOKなわけです。例えば、ある作家さんが「〜取るべきものも取らずに急いで逃げた」という文章を書いたとして、校正担当者が「それは間違った書き方です」と指摘できるでしょうか。「取るものも取りきれずに」と書いた場合はどうでしょう。

慣用句の誤用が日本語の誤用とは限らない

ウンチクは傾けるもの? ひけらかしてもいいじゃない!」という記事でも書きましたが、慣用句にある表現以外は認めないとしてしまうのはいささか窮屈な感じがします。

主婦の友インフォス情報社という会社から発行されている『えっ? これっておかしいの!? マンガで気づく...

また、「使い古された慣用句の使用は、書くことを怠けているということ」という記事で、伊集院静さんの言葉を引用しました。

慣用句に関しては、使った時点であなたの言語で書いていないということになります。「矢のような球だった」なんて嘘です。それだったら、むしろ、「球が矢だった」というほうがいい。

つまり、創作者はいかに慣用句にならないようにするかと考えているところがあり、ここで、「伊集院さん、『球が矢だった』というのは『矢のような球だった』の誤用なんじゃないですか」と指摘するのは野暮ということになります。

そう考えると、「取るものも取らず」というのも、あえて使っているのであれば案外アリなのではないかと思うのです。

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