富士山を特集したテレビ番組で、ナレーターが「・・・そこに現れたのは文字通り絵に描いたような富士山でした」と言っていたことがあります。
まず、「文字通り」の使い方がおかしいのは以前にも書いたとおりです。
ですが今回はそこではなく、「絵に描いたような」という慣用句について。
自分の言葉で書くことを心がける
慣用句とは昔からよく使われている言葉の組み合わせ、セットフレーズのことです。よく使われ聞き慣れているがゆえに文章にもよくなじむのですが、具体性に欠けることが多くてあまり印象に残りません。例えば次のような場合。
(例)
そこで出された料理は、えもいわれぬ味わいで、みんな大満足でした。
料理がおいしかったことを主張したいのならば、慣用句に頼らないで、どこがどうおいしかったのかもっと具体的に書くべきです。もし本当に、言葉で表現できない味だということを書きたいのなら、そこをもう少し独創的な表現で書いてみたらどうでしょう。
そこで出された料理を口にした途端、誰も何も言えなくなりました。みんな、震えるスプーンが不快な音を立てるのも気にせず、ただ夢中ですすり続けました。
こう書けば、どんな味なのかはうまく説明できないけれども、とにかくみんな満足していたということが、より強烈に伝わってきます。
慣用句の中でも特にその使用を控えたいのが、「〜のような」という比喩表現です。例えば、「絵に描いたような風景」「苦虫をかみつぶしたような顔」「水を打ったような静けさ」などがそれに当たります。これらの表現は、うまい形容詞が思い浮かばないときに使われることが多いようです。
そのほか、「職人がつくる本物の〜」などで使われる「本物の」や「本格的な」「真の」といった、すごいということを説明しようとした語句も要注意です。表現がありふれているため、逆にすごさが伝わってきません。
作家の伊集院静さんも、小説家養成講座の中で次のように言っています。
慣用句に関しては、使った時点であなたの言語で書いていないということになります。「矢のような球だった」なんて嘘です。それだったら、むしろ、「球が矢だった」というほうがいい。
以下に、比喩表現の慣用句をいくつか挙げてみます。
赤子の腕(手)をひねるよう
鬼の首を取ったよう
おもちゃ箱をひっくり返したよう
親船(大船)に乗ったよう
借りてきた猫のよう
雲をつかむよう
砂を噛むよう
堰を切ったよう
竹を割ったよう
血のにじむよう
取って付けたよう
バケツをひっくり返したよう
蜂の巣をつついたよう
鳩が豆鉄砲を食ったよう
腫れ物にさわるよう
蛇に見込まれた(にらまれた)蛙のよう
盆と正月が一緒に来たよう
水の滴るよう
水を得た魚のよう
ぜひ、参考にしてください。