けっこう昔に誤用が定着した「かたはらいたし」

言葉の誤った使い方があまりにも浸透しすぎて、いつの間にかそれが市民権を得てしまう例はたくさんあります。

近年では、いわゆる「ら抜き言葉」というのがその代表格で、見識ある人でも、もういちいち指摘することを諦めている感があります。こうした状況を「言葉は時代とともに変化するものだから」と自分に言い聞かせてみるものの、やはりどこかで忌々しく感じている人も多いことでしょう。

ですが、こういった誤用の定着という現象は今に始まったことではありません。

「片腹痛い」はお腹が痛くなるほど笑えること!?

例えば、「片腹痛い」という言葉。

意味は以下のとおり。

かたはら いたい【片腹痛い】
身のほどを知らない相手の態度がおかしくてたまらない。ちゃんちゃらおかしい。笑止千万だ。

(『大辞林』三省堂)

「お前がこの俺を倒すだと? フンッ、片腹痛いわっ!」といった感じで使いますね。

この「片腹痛い」の語源は何でしょう? ネットで調べてみたら『Yahoo! 知恵袋』に以下のようなやりとりが見つかりました。

「片腹痛いわ」の意味と使い方を教えてください。
例文を使ってくれるとうれしいです。

ベストアンサー

片腹(お腹の脇)が痛くなるほど、笑える。おかしな話だ。
どちらかと言えば「面白い」というより、「笑わせてくれる」「何そんな変なこと言ってるの?」みたいなニュアンスです。

「お前のような小童が俺に挑もうなど、片腹痛いわ」

なるほど、普通に考えればそうなりますね。しかし、多くの辞書にはそれとは違う解釈が書かれています。

中世以降、文語形容詞「傍ら(かたはら)いたし」の「かたはら」を「片腹」と誤ってできた語

(『大辞林』三省堂)

かたわら いた・し【傍ら痛し】
① 傍らで見ていて、気の毒だ。いたたまれない気がする。心苦しい。はらはらする。「簀の子は─・ければ、南のひさしに入れ奉る/源氏物語 朝顔」
② そばで見ていて苦々しい。はたで聞いていて笑止だ。「大方差し向かひてもなめきは、などかく言ふらむと─・し/枕草子」
③ 傍らの人が自分をどう思うのだろうと考えると、恥ずかしい。きまりがわるい。「─・く心の鬼出で来て、いひにくくなり侍りなむ/枕草子」

(『大辞林』三省堂)

もしこれが本当だとしたら、間違った回答を堂々と「Yahoo! 知恵袋」に投稿する人というのはどういう神経の持ち主なのでしょう。片腹痛いですね



与謝野晶子も使っていた「片腹痛い」

さて、『大辞林』によりますと、「片腹痛い」は「傍らいたし」の誤用が定着した言葉ということになりますが、注目すべきは「中世以降」という説明です。

日本でいう「中世」とは「一般的には、平氏政権の成立(1160年代、平安時代末期)から、鎌倉時代及び室町時代を挟んで、安土桃山時代(戦国時代末期)まで」になります。(『Wikipedia』より引用)

つまり、ここ最近の誤用ではなく、何百年という歴史をもった由緒正しき(?)誤用ということになります。

例えば、与謝野晶子(1878 – 1942)もその著書(訳書)の中で「片腹痛い」という言葉を使っています(与謝野晶子はそれほど古い人ではありませんが)。

「体裁が悪うございますよ。短い几帳で身体をお隠しになってお付きしていらっしゃればいいのに、風が吹いていますからお座敷の外から人がのぞけば、あなたはお医者のような恰好でおそばに出ているのですから恥ずかしい。こんなふうにしておいでになってはね」
などと明石は片腹痛がっていた。

(『源氏物語 若菜(上)』紫式部 与謝野晶子訳)

これは『源氏物語』の現代語訳ですから、当然元となっている文章があります。

「あな、見苦しや。短き御几帳引き寄せてこそ、さぶらひたまはめ。風など騒がしくて、おのづからほころびの隙もあらむに。医師などやうのさまして。いと盛り過ぎたまへ」
など、なまかたはらいたく思ひたまへり。

(『源氏物語 若菜 上』紫式部)

もうひとつ。

大将は簾が上がって中の見えるのを片腹痛く思ったが、自身が直しに寄って行くのも軽率らしく思われることであったから、注意を与えるために咳払いをすると、立っていた人は静かに奥へはいった。

(『源氏物語 若菜(上)』紫式部 与謝野晶子訳)

大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき入りたまふ。

(『源氏物語 若菜 上』紫式部)

与謝野晶子が中世よりも前の「傍らいたし」をあえて「片腹痛い」と訳した意図はよくわかりません。現在の「片腹痛い」の意味である「ちゃんちゃらおかしい、笑止千万」という使い方ではないので、そのあたりの使い分けも時代によって変わっているのかもしれませんね。

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