「覆水盆に返らず」という故事成語があります。
昔、中国の朱買臣という男(太公望とする説もあり)が妻に捨てられたのですが、後に頑張って出世したところ、元の妻が「あたいがバカだったよ」と復縁を求めてきました。しかし男は盆の水を地面にこぼし、「これを元に戻すことができたら復縁してやろう」と言い放ちました──という話です。
液体がこぼれている状況は同じだけれども…
男性陣からすれば「ざまあみろ」というか、なんというか、とても胸のすく話ですね。ちなみにここでいう「盆」はふだん私たちが使うトレーではなくて、もう少し深さがあるボウルのような容器だそうです。
さて、英語圏にもこれと似た状況を描写したことわざがあります。
「It is no use crying over spilt milk」
直訳すれば、「こぼれてしまったミルクについて嘆いても無駄だ」ということになります。
英語の授業で習った方も多いかと思います。その際に、対訳として「覆水盆に返らず」を当てると教えられませんでしたか?
いくつかのサイトを参照しても、だいたい両者は同じ意味だと記されています。
同じ意味を表す英語の諺に “It’s no use crying over spilt milk.”(こぼしたミルクを嘆いても無駄) がある。(Wikipedia「覆水盆に返らず」)
他国語の同義句
英語: It is no use crying over spilt milk(ウィクショナリー日本語版「覆水盆に返らず」)《こぼれたミルクを見て泣いても無駄だ》 「覆水盆に返らず」(weblio「It is no use crying over spilt milk」)
確かに容器から液体がこぼれている状況は同じですが、その言わんとしていることも同じでしょうか。
私はまったく違うと思います。
こぼしたあとの対応が違う
英語の「It is no use 〜」の方がわかりやすいので、そちらから見ていきましょう。
こちらは故事と違って背景となる物語がありませんので文脈がつかみにくいですが、例えば、子供が朝食のミルクをこぼしてしまって泣いている状況を想像してみます。それを見ていた母親はきっとこう言うでしょう。
「あらあら、こぼしちゃったの? でも気にしなくていいのよ。また注げばいいんだから」
ポジティブ・シンキングです。こぼしたあとの対応として「また注げばいい」と考えるべきだというのが、このことわざの教えです。根拠は「It is no use crying(嘆いてもしかたない=もう嘆くな)」というところです。
これに対して、「覆水盆に返らず」の方の男の心情はこうです。
「この水を盆に返してみろ! できないだろ。それと同じで、お前との関係も元には戻らないんだよ。せいぜい自分の行いを嘆いて生きていくんだな」
こぼしたあとの対応が違いますよね。「嘆くな」ではなく「嘆け」と言っています。もし両者の意味が同じだとしたら以下のようになるはずです。
「この水を盆に返してみろ! できないだろ。でも気にしなくてもいいぞ。また注げばいいのだ」
まさかの復縁です。これはこれでいい話ですが、史実と異なります。あくまでこの故事の教訓は「あとで悔やまないように日頃から十分に考えて行動しろ」ということです。
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ことわざや故事には、オモテの意味とウラの意味のふたつが存在します。重要なのは当然ながらウラの意味です。オモテの意味が似ているからといって「これとこれは同じ」としてしまうのは、どうかと思います。