文章はあいまいに表現しないで、断定する

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本や雑誌、インターネットなど、不特定多数の人が読む媒体では、書かれた文章に対して誰がどんなクレームを入れてくるかわからないものです。ときにはツイッターや掲示板にさらされてボッコボコに非難されることもあります。いわゆる「炎上」というやつです。

なかには万に一つの例外を持ちだして、「そう言い切ってしまうのは間違いだ」と主張する人もいます。しかし、それを恐れるがあまり、あいまいな文章の書き方でごまかそうとしてはいけません。

あえて言いましょう。

世の中に絶対といえるものなどありません。自信を持って断定形を使いましょう。例えば次のような文。

総務省が、テレビのない世帯からもNHKの料金を徴収する検討を開始したそうだ。そもそもテレビがあるというだけで受信料を徴収されるのも理不尽な話だと思う。世の中にはNHKを全く見ないという人もいるかもしれない。例えばCSの有料放送のようにスクランブルなどをかけて、受信料を払った人にだけ見せればいいのではないだろうか。それが市場経済の正しいあり方だと考えられる

ここでは、「〜そうだ」「〜だと思う」「〜かもしれない」「〜など」「〜のではないだろうか」「〜と考えられる」と、文末をあいまいな書き方にしています。これではせっかくの主張も説得力に欠けてしまいます。また、文章も長くなってしまい、どうにも歯切れが良くありません。

(修正例)
総務省が、テレビのない世帯からもNHKの料金を徴収する検討を開始した。そもそもテレビがあるというだけで受信料を徴収されるのも理不尽な話である。世の中にはNHKを全く見ないという人もいる。例えばCSの有料放送のようにスクランブルをかけて、受信料を払った人にだけ見せればいい。それが市場経済の正しいあり方だ。

同様に、「〜らしい」「〜といわれている」「〜のようだ」といった表現も、あまり使用しない方がいいでしょう。

実はこれ、まだ20代だったころ編集長によく注意されたことでした。「文章をはっきりした口調で書けないのは、取材がちゃんとできていないからだ」と。

ですが、いまだにそのクセは完治してなく、当時の編集長がこのブログを見たらまた叱られてしまうかもしれません

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