文をなるべく短くする【その2】

文章の書き方

以前、「文をなるべく短くする」という記事を書いたことがあります。

文をなるべく短くする
ここでいう文とは文章全体の長さのことではなく、句点「。」で区切られた一つの固まりのことを指します。これが長くなると読みづらい文章になったり、文法的な間違いを招いたりするので、何も良いことはありません。例をひとつ。 アレフガルドの首都ラダトー...

そのときには、私が考えた以下のような例文を載せました。

アレフガルドの首都ラダトームで戦士や僧侶、魔法使いを標的にした「膝カックン」が相次いでおり、昨日、テパ村の村長やローレシアの外交官らがロンダルキア勢力「悪霊の神々」の襲撃で腰を落とされ、ラダトームの衛兵隊長が更迭される事態に発展した問題で、ラルス新政権は勇者冒険部隊の撤収を控え、治安対策で難しいかじ取りを迫られている。

これは「長い文章は読みづらいよ」という例として作ったもので、一文で160字ありました。ただし、長いことは確かに長いのですが、主部・述部は比較的しっかり構成されているのでそれなりに意味は伝わります。

続いて、「上と下をしっかり呼応させる」という記事では、「文が長くなると主部と述部が呼応しなくなるような文法的な間違いが増えるよ」と書きました。

「副詞の呼応」をしっかり守る
「副詞の呼応」というのがあります。例えば、「決して」ときたら必ず「〜ない」といった否定の語句が来るといった、文章の書き方における決まり事のことです。 同じように、主語にあたる部分でどんな助詞を使うかによって、あとに続く部分の形式は変わってき...

今回、たまたまネットでちょうどよい文章を見つけたので紹介します(批判が目的ではないので、固有名詞をはじめとしたいくつかの表現を変更しています)。

はじめまして。私たちは愛玩動物の延長線上ではなく友情や愛情を表現し夢や未来を感じさせる人間の分身のような愛らしいネコ型ロボットを藤本がデザインし、その映像をクリエイトした安孫子と二人をつなげた手塚が集結してアニメプロデューサーの木村氏の協力で実現した世界に挑戦するプロジェクトです。

どうでしょうか。長いですね。というより、長く感じてしまうくらい読みづらいと思います。

スポンサーリンク

修飾語を重ねすぎると文章は複雑になる

ひとつずつ見ていきましょう。

まず、「私たちは」という主部を受ける述部が「プロジェクトです」となっている点がおかしい。「プロジェクトです」で締めたければ、主部は「これは」とかにするべきです。

次に、「ネコ型ロボット」に掛かる修飾語が多い(長い)ことも問題です。分解すると以下のようになります。

 「愛玩動物の延長線でない 〜 ネコ型ロボット」
 「友情や愛情を表現する 〜 ネコ型ロボット」
 「夢や未来を感じさせる 〜 ネコ型ロボット」
 「人間の分身のような 〜 ネコ型ロボット」
 「愛らしい 〜 ネコ型ロボット」

これらがすべて数珠つなぎのように連なっているため、とても読みづらくなっています。

また、そのあとにも修飾語がたくさん出てくるのですが、その関係が非常に複雑です。

終わりの方から見てみますと・・・

 「世界に挑戦する 〜 プロジェクト」
 「木村氏の協力で実現した 〜 プロジェクト」
 「集結して 〜 実現した 〜 プロジェクト」

誰が集結したのかというと・・・

 「我孫子と 〜 手塚が 〜 集結」

その我孫子と手塚というのは・・・

 「その映像をクリエイトした 〜 我孫子」(「その」は「ネコ型ロボットを藤本がデザインし」たことを指す)
 「二人をつなげた 〜 手塚」(「二人」というのは「藤本」と「我孫子」のこと)

これらがすべて同じ文の中で一気に語られています。

この修飾語をいったん外して必要最小限の文章にしてみると以下のようになります。

はじめまして。私たちはロボットを藤本がデザインし、我孫子と手塚が集結して実現したプロジェクトです。

これが、「藤本がデザインし、我孫子がそれを映像化し、さらに手塚が◯◯して〜」といったように同じ文型が並列するような書き方であればわかりやすいのですが、残念ながらそうなっていないのも理解を難しくしている要因のひとつです。

 ・ ・ ・
いかがでしょうか。この例のように、文章が長くなるとやはり良いことはありません。繰り返しになりますが、文章はなるべく短く簡明であることを心がけましょう。

タイトルとURLをコピーしました