「おざなり」と「なおざり」の違いは?

文章の書き方

「おざなり」という言葉があります。「おざなりな言い方」「おざなりな返事」といった感じで「その場逃れにいいかげんな言動をすること(『大辞林』三省堂)」を表す言葉です。

いっぽうこれによく似たものに「なおざり」という言葉もあります。こちらも辞書で調べると「真剣でないこと。いいかげんにして、放っておくこと(『大辞林』三省堂)」と、一見するとその違いがよくわかりません。

今回は、このよく似たふたつの言葉の違いを探ってみたいと思います。

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「おざなり」は「御座形」、「なおざり」は「等閑」

まず「おざなり」という言葉の由来ですが、こちらを漢字で書くと「御座形」となります。「御座」というのは「お座敷」のことで、芸人や芸者などが客に招かれて出る酒の席のことをいいます。こういったお座敷の場で、芸者衆が客の序列に合わせてテキトーに手を抜く、「形」だけ取り繕うことを「御座形(おざなり)」といいました。

いっぽう「なおざり」は漢字で「等閑」と書きます。こちらは「とうかん」と読むこともある言葉ですが、似た意味の漢語(中国語)から字を借りてきたと思われます。

等闲[děngxián]
するべきことをしないで、ほうっておくさま

(『EDR日中対訳辞書』情報通信研究機構)

読み方の由来は諸説あるようですが、「なおぞあり」が短縮されて「なおざり」となったというのがそのひとつ。

まず「なお」というのは「猶」または「尚」のことで、「以前の状態がそのまま続いているさま(『大辞林』三省堂)」を表す字です。「今もなお美しい」とか「今なお語り継がれている」といった形で使われます。
「ぞ」は強調の効果をもった係助詞で、「あり」と合わせて「そのままの状態ある」という意味になります。転じて「気をかけずに放っておく」となったようです。

ではそれを踏まえたうえで、「おざなり」と「なおざり」の違いを探っていきましょう。

テキトーでもやるのが「おざなり」、やらないのが「なおざり」

先ほどのお座敷の例でいうと、「おざなり」の場合はテキトーでも芸者衆はいちおう客の相手をしていました。これに対して、「なおざり」とはいいかげんに放っておくこと。つまり、客が待っているのにお座敷に出ないで放っておくといった状況です。

例文をみてみましょう。

証人喚問における追及もおざなりで、マスメディアで知られている程度の内容しか出てこなかった(『ニュースの考古学』猪瀬直樹・著/文藝春秋)

この場合は、証人喚問における追求は一応行われているがその内容がいい加減だったという状況です。

日本の指導者たちがこれらの問題を長い間なおざりにしてきたとも言えようが、彼らはまず経済成長の達成こそが先決と考えたのである(『ジャパンアズナンバーワン』エズラ F ヴォーゲル・著、木本彰子・訳/阪急コミュニケーションズ)

こちらの場合は、問題を長い間放置して何もしてこなかったという状況です。

このように、テキトーでもやるのが「おざなり」、そもそもやらないのが「なおざり」と覚えておけばいいでしょう。

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