「歴史的仮名遣ひ」と「現代かなづかい」との終わらない戦い

文章の書き方

「言ふ」や「~しませう」といった歴史的仮名遣いについての論戦がツイッター上で繰り広げられていました。

旧仮名遣は読み手に負担を掛けるもの?(togetter)

こういった議論は今に始まったことではなく、これまでもたびたび取り上げられていたようですが、私も含め認識不足なところもあると思いますので、あらためてその論点を確認します。
(上の画像は『さよなら絶望先生(7)』久米田康治・著、講談社・刊より引用)

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歴史的仮名遣いの使用は単なるファッションではない

今回ツイッターで繰り広げられた論争は以下のような素朴な「感想」からスタートしました。

旧仮名遣いにこだわる人って苦手 他人に何かを伝えることよりも自分が言いたいことを言いたい感が強く感じられて

旧仮名遣いの人にRTされてたが、うーん、要するにたいていの人からは読みにくいのになんでわざわざ使うのかねってだけなんだけどな

これだけを読めば、「確かにそう思う」と同意する人も多いでしょう。私も歴史的仮名遣いを使う人は、単なるファッションで使っているのだと思っていました。例えるなら、小洒落たカフェがイメージ作りのためだけに店名やメニューにフランス語を使っているような。

ところが歴史的仮名遣いの使用には、もう少し複雑な経緯と主義・主張があるようです。

「現代仮名遣」は學術的な研究に基いて定められたものではありません。「現代表記」の制定の仕方に學術的な方法は全く使はれてゐないんですよ。「国語改革」は「漢字を廃止した方がよいはずだ」つて根據のない推測に基いて行はれたものです。

「現代仮名遣い」は政府によって押し付けられたもの!?

現在私たちが一般に基準としている「現代仮名遣い」は、戦後である1946年に出された内閣告示第33号「現代かなづかい」を1986年に改定したものです。

言葉というものは本来、その使われる現場においてゆるやかに変化するものです。しかし、「歴史的仮名遣い」から「現代かなづかい」への移行は急激に、それも政府主導で行われたということです。

その大きな柱は「表音表記」という原則で、つまり発音と表記を統一させるべきという考え方です。これは「思ふ」を「o-mo-u」と読むのであれば、「ふ」ではなく「う」と書くべきであるという主張です。しかしながら、「「こんにちわ」はアリ? ナシ?」の記事でもふれましたが、いまだ「こんにちは」は「は」と書いて「wa」と読ませる方法が主流です。これは「表音表記」の原則に反しています。

「こんにちわ」はアリ? ナシ?
一時期、若者の間で「こんばんゎ、ぁたしちゅぅヵ゙くせぃだょ」といった文章の書き方(文字遣い)が流行していたようです(今は少なくなってきているそうですが)。 さすがに本の原稿でここまでの例は見かけませんが、それでも「こんにちわ」「こんばんわ」...

このように、「現代仮名遣い」は無理やり押し付けたルールであるがゆえに矛盾点も多く、そもそもその成立経緯とともに受容できないという人たちが「歴史的仮名遣い」を支持しているようです。

私たちはどういう立場をとるべきか

私たちが属する出版・報道の業界はなるべく多くの人に「伝える」ことを第一にしていますから、戦後まもなくのころはさておき、今は多くの人がより簡単に理解できる「現代仮名遣い」をベースにしています。漢字も学校で習わない旧字はなるべく使わず、必要であれば新字どころかひらがなを選択します。

あまり学術的に正しいとか、思想的にどうとかということまで正直、気にしていません。このブログの方針も、「なるべく違和感をおぼえる人が少ない書き方がいい」という中途半端な事なかれ主義にもとづいています。
(それでも最適なポジションをとっているつもりではいますが……)

ですが最終的には個人の自由というほかありません。「學術的な」という表記を見つけたら、私は「『学術的な』と書いたほうがいいよ」と指摘しますが、「いや、其処は譲れません」ということであればそれでも構わないと思います。

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