「ご冥福をお祈りします」は失礼?

文章の書き方

テレビの報道番組で訃報を伝えたあと、キャスターが「ご冥福をお祈りします」と言って締める場面を目にしたことがあると思います。ところがこの「冥福を祈る」という言い方について、それは失礼だと指摘する方がいます。さて、冥福はお祈りしていいのか、悪いのか? ちょっと調べてみました。

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「冥福」とは死後の幸福のこと

「冥福」という言葉を辞書で調べると「死後の幸福(『大辞林』三省堂)」とあります。これだけを読めば、亡くなられた方の幸福を願うということですから特に問題はないようにも思えます。

ではもう少し細かく分解して「冥」という字について調べてみると・・・

めい【冥】
① くらい。やみ。「冥冥・昏冥・幽冥」
② 道理にくらい。「頑冥」
③ 奥深い。「冥想」
④ 神仏に関することがら。「《ミョウ》冥応・冥加・冥護・冥罰・冥利」
⑤ 死後の世界。「冥界・冥鬼・冥土・冥途・冥福・幽冥」

(『大辞林』三省堂)

とあります。⑤のところに「冥福」とありますので、ここでの意味は「死後の世界」ということになります。「冥界」や「冥土・冥途」と同義とみていいでしょう。いずれにしても宗教的な語句であることは明らかです。

そういった意味において「冥福を祈る」という言葉は宗教ごとの「死後の世界観」に大きく関わってくることが予想されます。例えばキリスト教の信者の方にとっては「自分たちは冥界に行くわけではないのだから、そこでの幸福を祈られても困る、むしろ迷惑だ」ということになります。

では仏教の場合ならオッケーなのでしょうか?

「冥界」は地獄のこと!?

上記の⑤に出てくる「冥界」を辞書で調べると「地獄道のこと」、「冥土・冥途」は「死者の霊魂が行く暗黒の世界」とあります。これは多くの仏教で共有される世界観で「三途の川」や「閻魔大王」が登場する世界です。難しいことは私も専門ではないのでわかりませんが、この世を去った者が迷いの旅(冥土の旅)を経て審判を受ける世界だといいます。

これに対して仏教のなかでも浄土真宗では阿弥陀如来の本願力により亡くなられたらすぐに仏様になり(即得往生)、冥土の旅に出るということはありません。阿弥陀如来が仏になること(幸福)を約束しているわけですから、それに対して「冥福を祈る」という行為は、「ちゃんと仏になれるかどうかわかりませんから、私が祈ってあげますね」と言っているようなもので、とても失礼というわけです。

ですから、「冥福を祈る」という言葉は相手が「冥界」という世界観をもつ宗教・宗派の方であれば問題ありませんが、そうでない場合や相手の宗教が不明な場合には使用を控えるべき用語だといえます。特に冠婚葬祭に関わる言葉は深刻な失言になり得ますので、細心の注意を払いたいところです。

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