疑問の表現を伴わない「果たして」は果たして通じるか

文章の書き方

かなり前の話ですが、広告代理店の仕事で何かの原稿を書いたとき、「果たして」を疑問の表現を伴わずに使ったことがありました。

私たちがよく目や耳にする「果たして」は、

果たして彼は帰ってくるのだろうか?

といったように疑問の表現を伴うことが多いと思います。

しかし、「果たして」には疑問を伴わない使い方もあります。

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疑問を伴わない「果たして」もある!?

奥さんははたして留守でした。

私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。

(夏目漱石『こころ』)

この場合の「果たして」は「思ったとおり」「やっぱり」といった意味になります。

三省堂の『大辞林』では以下のように書いています。

はたし て『果(た)して』
(副)
① 〔漢文訓読に用いられた語〕予想していたとおりであるさま。思ったとおり。案の定。やはり。「─ 昼過ぎから豪雨になった」「農家の門を外に出て見ると ─ 見覚えある往来/武蔵野 独歩」

② (疑問や仮定の表現を伴って)疑いの気持ちや仮定であることを強調する気持ちを表す。ほんとうに。「─ 彼は何者か」「─ 結末はいかに」

このように「果たして」は疑問の表現を伴わなくても日本語としては間違っていません。ですが、そういった使い方は、現在ではあまり見かけませんね。

私も「もしかしたら間違いだと指摘されるかな」と思いつつ、広告代理店に原稿を提出したのですが、果たして「鈴木さん、ここの書き方、何か変ですよ。直してください」と言われてしまいました。

 ・ ・ ・

ここで、「いや、日本語としては間違っていませんよ!」と我を通すのか、「すみません、すぐに直します」と相手の意向に従うのか、どちらの道を選べばいいでしょうか。

「変な意地を張って次から仕事が来なくなったら…」といったビジネス的な要因はさておいて、私は素直に修正することをオススメします。

なぜなら、広告代理店の感覚が世間の感覚に近いと予想できるからです。つまり、辞書を持ってきて広告代理店の担当者を納得させたとしても、それが世に出たときには多くの読者が「これ何か変」と感じるに違いありません。

そういった意味で、この場合の広告代理店はリトマス試験紙みたいなものです。ここで NG なら、世間に出しても NG だろう、といった感じの。

通常の本作りの現場では編集者がこのリトマス試験紙の役割を果たすのですが、良くも悪くも電子書籍の個人出版ではそれがありません。

それではあまりにも危険ですから、原稿が完成したら少なくとも周囲の幾人かに読んでもらうようにしましょう。

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